昭和区九条の会たよりNo.205 (2022/11)

―反戦・平和の旗を高くかかげて―

今年も「平和のともしびウオーク」に参加しましょう! 

昭和区九条の会は創立以来憲法9条を守り発展させ、戦争反対・平和を求める活動を様々に行ってきました。「ともしびウォーク」も大切な活動の一つです。

 8月の終戦(敗戦)記念の行事に対して、太平洋戦争が始まった(1941年)12月8日を「冬の反戦平和の日」にしようと、2006年から「平和のともしびウォーク」を始めました。当時、事務局長の舟橋さん始め事務局・世話人会で、「平和運動に関心のある人たちだけでなく、一般市民の方にも見える・参加できる形でイベントを」と考えたのがもう一つの理由でした。

 クリスマスに近い時期なのでペットボトルを器にしてローソクで灯りを付け(のちに防災上、LED豆電球に変更)「ロマンチックな雰囲気を出そう」「平和のつどいや平和美術展で制作した作品もみこしで担ごう」「歌やギターの音に乗せてにぎやかに」「市民の皆さんへの訴えのシュプレヒコールも」などなど様々な声が上り、次第に現在の形の「ウォーク」になってきました。

このイベントは昭和区、瑞穂区、千種区、名東区、東区、中区の各九条の会と、第9条の会なごや、天白区大坪九条の会へと広がり、さらには平針九条の会や南区呼続九条の会なども独自の取り組みをされています。

 こうして冬の反戦平和の日にふさわしい内容とウォークで各参加団体が今池西公園に集結し、「ともしび」のコンクールや全員合唱、そして共同アピールを採択して市民の皆さんに訴えてきました。

 今年は17回目になります。ロシアのウクライナ侵略、台湾海峡の緊張、北朝鮮のミサイルなど平和を脅かす動きが広がっています。今こそウクライナに平和を! 東アジアに平和を!の声を、強く大きく上げようではありませんか。

  古田 剛(昭和区九条の会代表世話人)

2022 平和のともしびウォーク昭和区集会 ご案内

平和を願い共に歩く、ともしびウォークにご参加ください!
飛び込み参加も大歓迎!
昭和区は天神町公園がスタートです。

LEDライトなどの光るものや、タンバリン、鈴などの鳴りもの、目立つ衣装などで平和をアピールしてゴールの今池西公園まで楽しく歩きましょう!!

日時: 2022年12月8日(木)18:00~

場所: 昭和区天神町公園

  

★「第16回昭和区平和のつどい」記録動画(字幕付き)をYouTubeで視聴できます。ぜひご覧ください!

忘れてはいけない 1941年12月8日の出来事を!

 今年の3月に松栄地区で行われた「戦争体験を聞いて平和を語り合う会」に寄せられたSさんの手記を連載します。

 松栄学区にお住まいだったSさんは福祉施設から地域福祉へと変わってきた昭和50年頃、地域に受け皿がないことに気付き、地域ボランティアとして「ふれあいサロン」や「宅配弁当」を自宅の一室を使って始められました。共に生きる社会を目指して、長年にわたり地域ボランティアをしてこられました。

地域の皆さんと一緒にハンドベルの練習。中央がSさん 

私はこうして戦争に巻き込まれた (第1回)

私は昭和3年生まれ、94歳です。折角のこの機会を頂きましたので私が過ごした青春と戦争について少しお話をさせていただきます。

 昭和6年、両親がここに引っ越してきた頃、今松栄小学校のあるこの辺りはまだ愛知郡○○村と言いました。大根畑と桑畑の連なる丘陵地帯で松栄小学校のある辺りは沼地であったと聞きます。

 そのころの国の政策は「産めよ増やせよ」で、何んのために産むかというと強い兵隊さんを沢山作るため。女はその強い兵隊さんを作るための道具でした。

 昭和9年、私は小学校に入学。近くに小学校がなかったので両親は私を西区押切の往復2時間かかる愛知師範学校の付属小学校まで通わせました。

 どんどん人口が増え、耕地整理によって「現在のような碁盤の目の街づくりが進み、北は石仏町・南分町、南は荒田町まで立派な町が出来るまで年月はかかりませんでした。

 昭和11年2月11日(旧紀元節の日)住民の熱い期待を込めて松栄小学校が建設されました。生物学者の吉兼校長のもと、優秀な教員が集められ自然と触れ合う教育が行われました。学校の南には水田があり田植え、稲刈りなどの体験が出来ました。西には学級毎に学習園があり、隣の組に負けないようにクラスー丸となって野菜などを作つたのも楽しい思い出です。いじめなどの陰湿なものはなかったように思います。翌年には学区民の協力により立派な講堂が建てられ、名古屋の学習院と騒がれたものです。小学校3年で転入して以来、私はずっと松栄学区の住人です。

 昭和の初期にお生まれになった方がいらっしゃいましたらこの歌を覚えておいででしょうか。

  昭和 昭和
  昭和の子供よ僕たちは
  姿もきりり心もきりり
  山 山 山なら富士の山
  行こうよ 行こう 足なみそろえて
  タラララ ラララ タララララ

子供心にも昭和の期待を一身に受けていたと思います。

 戦争の影が忍び寄ってきたのは昭和12年。私が小学4年生の時です。当時は支那(しな)事変と言っていました。その年の7月に38歳の父に召集令状がきたのです。町内を挙げてバンザイバンザイの声に送り出されて行きました。父の派遣されたのは北支の大同というところで戦が済んで撫順作戦が行われていたところのようです。1週間に1度くらいの割で手紙が届きました。子供たちとにこやかに写った写真も入っていました。ここの子供たちはかわいそうだ。でも可愛がってあげると「大人、大人(ダイジン)」と言って慕ってくれる。可愛いよ。お前たちのことを思っている。 しっかり勉強しなさい。と書いてありました。母は毎週、私たち兄妹も返事を書き、無事に届いていました。私の4年生のクラスには出征兵士の子供が私を含めて2人いて、それはそれは大切にされました。クラス全員で父への慰間袋を作って送ってくれ、父からは礼状も届きました。

(次号に続く)
   

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